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この手の中の恋の一片を

BL作家*四ノ宮慶の商業活動等をお知らせするブログです。

 2010年8月C.City東京無配SSペーパー

[夏の記憶] 『玩具の恋』番外編

 目も眩むような日差しと、忙しなく降り注ぐ蝉時雨。鼻腔を刺激する汐の香り。そして、鼓膜を懐かしく震わせる、波の音。
 フェリーから桟橋に降り立った草加は、胸いっぱいに汐の香りに満ちた空気を吸い込むと、空を仰ぐように上向いて瞼を閉じた。
 警笛を鳴らしながらフェリーが桟橋を離れていくのを背後に感じながら、草加は再びこの地に降り立ったことに深い感慨を抱く。祖父とこの島で夢のような日々を過ごしてから、もう十年以上の月日が流れていた。
「草加さん、どうかした?」
 セピア色の記憶を手繰り寄せようとしていた草加の隣から、屈託のない声が問いかける。
 苦笑を浮かべそうになるのを抑え込んで、草加は静かに瞼を開き、声の主へと視線を向けた。
 癖のない漆黒の髪を潮風になびかせて、大きな垂れ目がちの瞳が草加を不思議そうに見つめている。
「いや、何でもない。……行くか」
 草加が低く答えると、まだ少年の面差しを残した圭吾がにこりと微笑んで頷いた。
 キャリーバッグの持ち手を握り直して、草加は足を踏み出す。少しの間をおいて、圭吾が後に続いた。
 八月の盆過ぎともなると、さすがに帰省客も見当たらず、桟橋には地元の人間らしい人影がまばらにあるばかりだった。
 草加はメモを片手に、予約している民宿へと向かった。
 道すがら、古びた民家や港に並ぶ小さな漁船を眺めながら、記憶に残る過去の光景と照らし合わせてみたりする。十数年の月日が流れているというのに、この小さな島は草加が訪れた頃の光景をそのままにとどめていた。
「すごい、なんかアレ思い出す。小学校のとき、学校で見せられた映画の……」
 草加の半歩後ろをついて歩きながら、圭吾は珍しそうに瞳を輝かせて言った。
「ああ、そうだ『二十四の瞳』だ。瀬戸内の島の景色って、俺、あの映画のイメージが強いから」
 防波堤沿いに歩きながら、草加はエメラルドグリーンに輝く海へ視線を向けた。圭吾の言葉に少なからず共感を抱きながらも、草加の胸には違った想いがある。
 この島は、草加にとっては祖父との思い出が凝縮された宝箱のような存在だった。
「俺、田舎とかなくて、こういう島に縁がなかったから……」
 ずっと無言でいる草加を責めることもせず、圭吾はいつもより饒舌に話し続ける。
「まさか……こんなふうに、草加さんと二人で来れるなんて、思ってなかったし」
 それまでの興奮気味に上擦った声から一変して、圭吾の声は低く抑揚のないものになった。
「……ありがと」
 独り言のように小さく囁かれた圭吾の言葉に、草加は足を止め振り返った。
 黙ったまま、同じように足を止めた圭吾を見つめると、はにかんだ笑顔を浮かべてもう一度「ありがとう」と言う。
「何が?」
 自然に浮かんだ問いかけを口にすると、圭吾は少し照れ臭そうに視線をずらして口籠った。
「だって、さ……」
 足許に落ちた自分の影をジッと見つめて、圭吾は戸惑い気味に話しだす。
「草加さん、何も言わないけど、……この島って、お祖父さんと何か関わりのある場所なんだろうな……って」
 長い睫毛に覆われた大きな瞳が潤んでいるように見えるのは、草加の思い違いだろうか。
「俺、……最初に草加さんと出会ったとき、あんな酷いことしたのに……。それなのに、俺をこの島に連れて来てくれて……嬉しかった」
 最悪だと思った出会いから、もうどれほどの月日が流れただろう。草加自身はもうすっかり記憶の彼方に捨て置いてしまった事柄を、圭吾が今も心の奥に留めて後悔していると知って、草加は彼の本来の素直な性格を思いやる。
「何のことを言っているのか知らないが、お前に酷い仕打ちを受けた記憶は俺にはない。……それに」
 まっすぐに圭吾に向き合っていることになんとなく気負いを感じて、草加は踵を返すと再び歩き始めた。背後から、圭吾が慌てて後を追ってくる気配を感じ、ホッとする。
「別に特別な想いがあって、お前を連れて来た訳じゃない。……ただ、お前と一緒に来てみたいと、単純にそう思っただけだ」
 背を向けたままでぶっきらぼうに言い放つと、草加は自然と足が速まるのを自覚しつつ先を急いだ。圭吾が小走りについてくる足音を聞きながら、残暑というには眩し過ぎる日差しに目を眇める。
「待って、草加さん!」
 海沿いの道が、ゆっくりと右へカーブする手前で、突然圭吾が大きな声で草加を呼んだ。
「草加さんっ、こっちじゃない?」
 肩越しに振り返ると、山へ向かう小径の入口で圭吾が立ち止まっているのが見えた。圭吾は小径の先を指差して、そしてその指を角にある電柱の上へゆっくりと動かしてみせる。
「あぁ……」
 圭吾の指が指し示す先をゆっくりと見上げ、草加は小さく声を漏らした。
 今ではすっかり珍しくなった木製の古い電柱に、小さな民宿の看板が掲げられている。宿名を平仮名で記した下方に「ココ入る。20m先」と書かれていた。
「ココだよね、確か、泊まるトコ」
 額から汗が伝い落ちるのを手の甲で拭いながら、草加は自分の失態にそっと舌打ちをした。
 自身でも思いがけず口にした胸のうちを明かす言葉に、勝手に動揺して看板を見落としてしまったことに、草加は言い知れぬ焦燥を感じて戸惑う。
「行こう?」
 そんな草加の内心の困惑を知ってか知らずか、圭吾はいつもと変わらない屈託のない態度で草加を促した。
「暑くて喉渇いたし、早く一休みしたいって感じなんだ」
 降り注ぐ日差しと同じ、眩しい笑顔で語り掛ける圭吾に、草加は気付いてしまう。
 やはり、圭吾は分かっているのだ。草加が自分の言葉に戸惑い、焦り、困惑して、圭吾と顔を合わせることに気恥ずかしさを感じてしまっていることに。だからこそ、何気ないフリをして、笑顔で声をかけてくれる。
「……ああ、そうだな」
 草加はわずかに俯くと、口許に薄い笑みを浮かべてそう答えた。ふと気付くと、手にしていたメモを、いつの間にかクシャクシャになってしまう程握り締めてしまっている。
「ちょっと休んだら、海行こうよ、草加さん」
 先に小径を行きながら、圭吾が振り返って告げる。
「クラゲが出てるだろう?」
 草加が少し大人びてきた背中にそう答えると、圭吾はハッとして大きな瞳を更に大きく見開いた。
「そっか。……でも、足を浸けるくらいなら平気じゃない? せっかく来たんだし、海で遊ばないなんて勿体無いし」
 子供のようにそう言うと、圭吾がいきなり駆け出した。
「あった! 見えたよ、草加さん。あの民宿だろう?」
 つい先ほど、大人っぽくなってきたと思ったばかりなのに……と、草加は呆れ顔で圭吾の背中を見送った。
 古い瓦屋根の民家の間を縫うように続く小径の先に、小さな民宿の看板が見えている。
 見上げれば、瓦屋根や生い茂った木々の枝葉の隙間から、絵の具を溶かし込んだような青空が見えた。耳には相変わらず絶え間ない蝉時雨。
 木漏れ日の降り注ぐ小径を往く圭吾の後ろ姿を愛しげに見つめながら、草加は遠い夏の日の記憶に想いを馳せた。
 立ち止まり、静かに瞼を閉じる。
 あのときと変わらない、真っ青な空。エメラルドグリーンの穏やかな海。降り注ぐ蝉時雨、ゆっくりと流れる時間。
 ただひとつ違うのは、隣にいる存在。
 祖父が他界して、もう十数年が過ぎた。
 彼に……圭吾に出会うまで、あの夏から草加はずっと一人で生きてきた。
 あの夏の記憶は、今も草加の脳裏に鮮やかに甦る。
 けれど、キラキラと目の前で輝く彼の笑顔が、草加にとってはより鮮明で確かな存在となっていた。
「草加さん、何やってんの! 早く!」
 民宿の玄関先で、圭吾がおおきく腕を振る。
 自然に口許が綻ぶのを感じながら、草加は瞼を開けると同時に足を踏み出した。
 別に、思い出を辿るためにこの小さな島へ圭吾を伴った訳ではない。また、記憶を塗り直すためでもない。
 自分でも確固たる理由があっての、今回の旅ではなかった。さっき圭吾に告げたように、ただ、一緒に来たかったのだ。
「これだから、ガキは……」
 既に自分でも自覚している口癖を小さく呟いて、草加は愛しい存在を見やる。
 飾ることも驕ることなく、ただ自然に草加の前にいてくれる彼と、あの夏の記憶を共有したいと思ったのかもしれない。
「草加さんっ!」
 蝉時雨を掻き消して、草加の鼓膜を圭吾の声が大きく震わせる。
 不意に、目頭が熱くなり、レンズの向こうがぐにゃりと歪んだ。近頃、どうにも涙脆くて仕方ない。
『……爺ちゃん』
 草加は漏れ出そうになった呟きを、ぐっと喉の奥で噛み殺した。脳裏に、あの夏の日の祖父の笑顔と言葉が甦った。

 いつか、対の人間に出会える日が来る    


                      終わり

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