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この手の中の恋の一片を

BL作家*四ノ宮慶の商業活動等をお知らせするブログです。

 J庭39配布ペーパーSS

『秋の夜長』

 夜、ベッドに入って目を閉じて、まず思うのはあの人のことだ。
 名前も知らないあの人は、いくつか前の駅から普通電車に乗ってくる。
 前から3両目、真ん中のドアのすぐ脇のつり革にいつも掴まって、窓の外をぼんやりと眺めてる。
 ちょっと疲れたような眼差しで、いつもと変らない外の景色を眺めながら、その人は終点まで乗っていく。
 今日はチェック柄のスーツを着て、チョコレート色のネクタイを締めていた。
 秋っぽい装いに、ただの学制服の自分が気恥ずかしくなる。
 お洒落で大人なあの人は、きっと俺のことなんか気にもとめないないだろう。
 毎日、ただ通勤電車で同じ車両に乗っているだけ。
 俺がこっそり想いを寄せているだなんて、きっと知らないあの人。
 俺の顔すら、覚えているかどうかも分からない。
 声をかけようと思ったことが、何度もあった。
 同じ電車を毎日利用する者同士、「おはようございます」くらい言ったって、別におかしくないかなって。
 けど、いまだにできないままでいる。
 ただ毎朝、こっそり見つめているだけで、胸がいっぱいになって声も出ない。
 そうして家に帰って夜になると、こうやってベッドの中で今朝のあの人のことを思う。
 声も知らないあの人を思って、親しく会話する自分を想像する。
 たとえば……。
 俺が電車に乗り込むと、あの人が笑顔で「おはよう」と声をかけてくる。
 それに答えて、俺は苦手な英語のテストがあるって言ったりするんだ。
 あの人は優しく微笑んで、勉強だけじゃなくて、いろんなことを頑張れって言ってくれる。
 そしたら俺は、お仕事頑張ってって答える。
 スーツのあの人と学生服の俺は、隣に並んでつり革に掴まっているんだ。
 そうして終点まで、昨日見たテレビの話とか友達の話をして時間をつぶす。
 終点で「行ってきます」と「いってらっしゃい」を言い合って手を振って、ちょっと寂しくなったりする。
 俺は学校、あの人は会社。それぞれ行く先は別だから、仕方ない。
 また明日の朝までの、ひとときのお別れ。
 ちゃんと笑って手を振るよ。
 そこまでぼんやり想像して、俺は思う。
 あの人の、何も知らない。
 声も、名前も、どこに勤めているのかも。
 普段、どんなことをしているんだろう。
 趣味は何? 
 ……恋人はいるんだろうか。
 いたら、嫌だな。
 そこで、ハッとして瞼を開く。
 自分の感情に、今更ながら悲しくなる。
 同じ男で、しかも相手は大人の人で。
 叶うはずのない、恋。
 思うだけの、見つめるだけの、恋。
 こんなに恋が辛くて切ないなんて、思ってもいなかった。
「……はぁ」
 大きな溜息を吐いて、頭まで布団を被った。
 涙が出そうになって、慌てて目をぎゅっと閉じる。
 秋の夜長——。
 何も知らないあの人を想って、俺は切ない眠りに就く。
 せめて夢の中では、勇気をもって声をかけたい。
 さりげないふうを装って、天気の話なんかするみたいに、他愛のない会話をするんだ。
「今どきの高校生ってどう?」
「社会人て大変? 不況って実感してる?」
 大人とガキだって、きっと会話は成立すると思うんだ。
 夢の中なら、きっとうまくできるはず。
 そうして何度も繰り返し、夢を見て、たくさん話をしていれば、いつの日か、ほんもののあの人に声をかけられるかもしれない。
 ——まさか、ね。
 秋の夜長……。
 それでも俺は、夢を見ないではいられないんだ。
 あの人と笑顔で話す、いつの日かを——。

   end 四ノ宮 慶 2015.10.18(初出2009.9.9ブログSS)
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