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J*GARDEN 29 『玩具の恋』番外編SS
『秋茜、舞う夕空に』
その日、草加は出張先から直帰したため、普段よりも随分早く自宅へ向かうバスの車内にいた。
これから帰る自宅マンションのリビングで、出張前に合鍵を渡したばかりの年下の恋人が待っているかと思うと、柄にもなく頬が緩んでしまう。
本当に、この頃の自分の変化には、草加本人でさえ戸惑いを覚えるほどだった。この歳になるまで真剣に恋愛をしてこなかった皺寄せが、一気に押し寄せてしまったのだろうか。
傷つくことを恐れて、他人と深く関わりを持たずに生きてきた草加の半生を、年下の恋人はどう思っているのだろう。
ひどく純粋で素直な、まだどこか子供のような彼は、決して草加を悪く言うようなことはない。自分が散々彼に対してひどい態度を取ってきたことを思えば、彼から一度や二度はその責めを受けても仕方ないと思うのに、彼は何も言わず、ただひたすらに草加を許してくれる。
そんな彼の純粋さや優しさに、自分はすっかり甘えてしまっているのだと気付いているのに、草加はそれを認めることができないでいた。
くだらない大人のプライドや意地が、彼の前でさえ素直になることを拒んでしまう。どうしてこんなに捻くれた大人になってしまったんだろうと思うが、なってしまった以上どうしようもない。
それでも、ふと思うのだ。
こんな頑なで捻くれてしまった自分を、彼が好きでいてくれるなら、許してくれるのなら、たとえゆっくりでも、変わっていけそうな気がする。
夕焼けに染まった西の空を吊革に掴まって眺めながら、そういえばここ最近、仕事に追われて空を見上げる余裕もなかったと気付く。季節の移ろいや、街の様子がうつろいゆくことに、いったいいつの頃から気がまわらなくなってしまったのだろう。
幹線道路沿いに広がる新興住宅街の向こうには、半分建物の向こうに消えてしまった夕日が真っ赤に萌えている。
ふとそのとき、信号で停車したバスの窓の向こうを、1匹のトンボが横切った。
アキアカネ 。
まだ祖父が生きていた頃に教えてくれた、赤とんぼと呼ばれる昆虫の名を、草加はそっと胸の中で呟く。
仕事に忙殺され、慣れない恋に惑う日々を送るうちに、もうこんな季節になっていたのかと草加は溜息を吐いた。
赤とんぼはしばらくの間バスの周囲を気持ち良さそうに飛んでいたが、バスが発車すると同時に空高く舞い上がり、夕日に向かって消えていった。
「アキアカネって、夏前に成虫になって暑い時期は高原で避暑して、秋になると繁殖のために平地に降りてくるって、高校の生物の先生が言ってた。この時期になると、学校の周りにうようよ出るんだ、赤とんぼ」
部屋の玄関で出迎えてくれた年下の恋人に、バスの窓から見たアキアカネの話をすると、彼はとくに珍しくもないといった様子でそう教えてくれた。季節を感じさせるアキアカネを見たことで、妙に懐かしさを感じていた草加にとって、恋人の反応はひどく残酷なものに思えた。
彼にとってアキアカネは、殊更珍しいものではなかったらしい。
同じような感慨をもって笑顔を浮かべてくれると、草加は勝手にそう思っていた。期待はずれの恋人の反応が、こんなにもショックだということが、また余計に草加を落ち込ませてしまう。
「どうかした? もし疲れてるんなら、俺、今日は帰ろうか?」
ムッツリした表情を浮かべ黙り込んでしまった自分に、恋人が心配そうに問いかける。大人げない態度をとってしまったことに今頃気がついて、草加は慌てて咳払いを一つした。
「いや……そうじゃない」
そう口を開いても、その先に告げるべき言葉が思い浮かばない。
再び黙ってしまった草加に、しかし恋人は屈託のない笑みを浮かべて言った。
「今思いついたんだけど、近いうちに赤とんぼが群れになって飛んでるの、見に行ってみようよ。まだいるか分からないけど、草加さんの仕事が忙しくないときにさ」
まっすぐ自分に向けられた瞳に、草加は思わず顔を背けてしまう。
彼は、狡い。
そう思いつつも、恋人の提案にすっかりその気になっている自分も認めている草加だった。
花丸文庫BLACK『玩具の恋』より
『秋茜、舞う夕空に』
その日、草加は出張先から直帰したため、普段よりも随分早く自宅へ向かうバスの車内にいた。
これから帰る自宅マンションのリビングで、出張前に合鍵を渡したばかりの年下の恋人が待っているかと思うと、柄にもなく頬が緩んでしまう。
本当に、この頃の自分の変化には、草加本人でさえ戸惑いを覚えるほどだった。この歳になるまで真剣に恋愛をしてこなかった皺寄せが、一気に押し寄せてしまったのだろうか。
傷つくことを恐れて、他人と深く関わりを持たずに生きてきた草加の半生を、年下の恋人はどう思っているのだろう。
ひどく純粋で素直な、まだどこか子供のような彼は、決して草加を悪く言うようなことはない。自分が散々彼に対してひどい態度を取ってきたことを思えば、彼から一度や二度はその責めを受けても仕方ないと思うのに、彼は何も言わず、ただひたすらに草加を許してくれる。
そんな彼の純粋さや優しさに、自分はすっかり甘えてしまっているのだと気付いているのに、草加はそれを認めることができないでいた。
くだらない大人のプライドや意地が、彼の前でさえ素直になることを拒んでしまう。どうしてこんなに捻くれた大人になってしまったんだろうと思うが、なってしまった以上どうしようもない。
それでも、ふと思うのだ。
こんな頑なで捻くれてしまった自分を、彼が好きでいてくれるなら、許してくれるのなら、たとえゆっくりでも、変わっていけそうな気がする。
夕焼けに染まった西の空を吊革に掴まって眺めながら、そういえばここ最近、仕事に追われて空を見上げる余裕もなかったと気付く。季節の移ろいや、街の様子がうつろいゆくことに、いったいいつの頃から気がまわらなくなってしまったのだろう。
幹線道路沿いに広がる新興住宅街の向こうには、半分建物の向こうに消えてしまった夕日が真っ赤に萌えている。
ふとそのとき、信号で停車したバスの窓の向こうを、1匹のトンボが横切った。
アキアカネ
まだ祖父が生きていた頃に教えてくれた、赤とんぼと呼ばれる昆虫の名を、草加はそっと胸の中で呟く。
仕事に忙殺され、慣れない恋に惑う日々を送るうちに、もうこんな季節になっていたのかと草加は溜息を吐いた。
赤とんぼはしばらくの間バスの周囲を気持ち良さそうに飛んでいたが、バスが発車すると同時に空高く舞い上がり、夕日に向かって消えていった。
「アキアカネって、夏前に成虫になって暑い時期は高原で避暑して、秋になると繁殖のために平地に降りてくるって、高校の生物の先生が言ってた。この時期になると、学校の周りにうようよ出るんだ、赤とんぼ」
部屋の玄関で出迎えてくれた年下の恋人に、バスの窓から見たアキアカネの話をすると、彼はとくに珍しくもないといった様子でそう教えてくれた。季節を感じさせるアキアカネを見たことで、妙に懐かしさを感じていた草加にとって、恋人の反応はひどく残酷なものに思えた。
彼にとってアキアカネは、殊更珍しいものではなかったらしい。
同じような感慨をもって笑顔を浮かべてくれると、草加は勝手にそう思っていた。期待はずれの恋人の反応が、こんなにもショックだということが、また余計に草加を落ち込ませてしまう。
「どうかした? もし疲れてるんなら、俺、今日は帰ろうか?」
ムッツリした表情を浮かべ黙り込んでしまった自分に、恋人が心配そうに問いかける。大人げない態度をとってしまったことに今頃気がついて、草加は慌てて咳払いを一つした。
「いや……そうじゃない」
そう口を開いても、その先に告げるべき言葉が思い浮かばない。
再び黙ってしまった草加に、しかし恋人は屈託のない笑みを浮かべて言った。
「今思いついたんだけど、近いうちに赤とんぼが群れになって飛んでるの、見に行ってみようよ。まだいるか分からないけど、草加さんの仕事が忙しくないときにさ」
まっすぐ自分に向けられた瞳に、草加は思わず顔を背けてしまう。
彼は、狡い。
そう思いつつも、恋人の提案にすっかりその気になっている自分も認めている草加だった。
花丸文庫BLACK『玩具の恋』より
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